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仏像たちにもソシキがあった!? 仏像の中には何かがあるってほんとう? 仏像に興味はあっても、「むずかしそうだから・・・」と思っていませんか? 種類やかっこう、つくられた時代から材料まで、一見フクザツそうに見える仏像の世界も、4つのひみつさえ知っておけば、じつはこんなにおもしろい! 東京国立博物館の人気展示から、初めての、ほんとうにやさしくて楽しい仏像ガイド、ついに誕生です。 目次 1 仏像たちにもソシキがある!(如来―さとりをひらいた 大日如来―真理そのもの ほか) 2 仏像にもやわらかいのとカタイのがいる!(金銅仏―ロウのかたち 塑像―土のかたち ウルシの仏像 木の仏像) 3 仏像もやせたり太ったりする!(仏像の輪切り? 仏像シルエット 大きな仏像、小さな仏像 仏像の身長はどこではかる?) 4 仏像の中には何かがある!(おしまいに 作品解説 仏像のひみつ顛末) |
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法を問い、生き方を問い、激動の世を生き抜いた或る者の生涯が今、現代の知の光炎に照射され、深淵より鮮やかに浮かび上がる。「種種御振舞御書」偽書説を覆す精緻な分析の中に、躍動する日蓮の、真の鼓動が響きわたる一冊。 もくじ □ はじめに □ 【凡例】 □ 序の章 日蓮伝と「御振舞抄」 自伝としての「御振舞抄」 直弟子による伝記は存在したか 物語風に自己を語った日蓮 「御振舞抄」の成り立ち 「御振舞抄」の対告衆および執筆年次 「御振舞抄」の偽書説について 【注記】 |
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日蓮聖人はたび重なる法難にも立ち向かい、信念を貫き、その教えは、多くの民衆の信徒にささえられた。日蓮聖人が、生涯をとおして信徒とかわした折々の書簡には、信徒の課題に答え、導く聖人の、慈愛に満ちた心からの言葉が綴られている。日蓮聖人の書簡を読み解き、味わいながら、信徒との交流の軌跡をたどる。 目次 「死」を迎えるにあたって―南条兵衛七郎へ 死者と生者とのつながり―父南条氏と子息時光 子を亡くした母への慰め―故南条兵衛七郎の妻へ 悲母への追慕―富木常忍へ 亡父への孝養―曾谷二郎入道法蓮へ 夫の「死」を見つめて―岡宮の妙法尼へ 夫婦の死別―佐渡の千日尼へ 孟蘭盆行事の意義―治部房の祖母へ 亡き師への報恩―清澄寺の浄顕房・義浄房へ 心のたから(財)を第一に生きる―四条金吾へ〔ほか〕 |
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仏教が興って二千五百年余。この間、仏教は大乗と小乗とに分かれ、大きな差異も生じたが、仏教のもつ高度な倫理性が、両者に共通するテーマであることに変わりはない。本書では、無執著に徹せよと説く『スッタニパータ』『金剛般若波羅蜜経』、高邁な志を抱けと教える『法華経』という三つの代表的仏典に即して、仏教の核をなす倫理思想を解き明かす。 目次 1 ただ独り―『スッタニパータ』「犀の角」 2 高貴な道―『法華経』「方便品」より 3 無執著―『金剛般若波羅蜜経』より |
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宗教間対話の可能性をめぐる多様な立場からの討論の記録。果たして異なる宗教間の理解は可能なのか。キリスト教、イスラーム教、神道、仏教などを取り上げ私と公そして公共の世界における宗教の意味を探る。 目次 宗教の変容と個人 現代社会と神道の公共世界 宗教と政治、アメリカの市民宗教 一つの公共宗教試論 カトリックと公共世界 新渡戸稲造における「私と公と公共」 イスラームと公共性 新井奥邃の宗教思想にみる公共性 仏教と公共世界―日蓮思想の場合 宗教的寛容をめぐって―ジャーナリストの見た宗教と公共性〔ほか〕 |
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著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 此経 啓助 日本大学芸術学部教授、宗教考現学研究所所長。1942年東京都生まれ。日本大学芸術学部卒業。同学部助手、インド・ビハール州立マガダ大学講師を経て宗教考現学研究所を創設。仏教関係の情報収集や分析、出版活動に従事。その後、現職。 |
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著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 植木 雅俊 1951年、長崎県生まれ。九州大学理学部卒。九州大学大学院修士課程修了(理学修士)。東洋大学博士後期課程中途退学(文学修士)。東方学院で中村元博士からインド思想・仏教思想論などを学ぶとともに、サンスクリット語を受講。2002年に学位請求論文「仏教におけるジェンダー平等の研究―『法華経』に至るインド仏教からの考察」でお茶の水女子大学から男性としては初の人文科学博士を取得。日本ペンクラブ、東方研究会、日本印度学仏教学会、比較思想学会、仏教思想学会会員。 |
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眼は太陽であり、思考力は月であり、耳は方位であり、頭は火であり、気息は風である―。小宇宙と大宇宙の対応の思想は、やがて個体の本質アートマンと最高実在ブラフマンの一致の自覚へと深化される。古代インドに展開された生の根源を洞察する叡知、神秘思想の本質を初期ウパニシャッドをもとに解明した、斯界の碩学による最良のインド思想入門。 目次 第1章 古代インドの叡知―ウパニシャッドが現代に伝えられるまで 第2章 祭式から哲学へ―ブラーフマナとウパニシャッド 第3章 ブラフマンとアートマン―最高実在と個体の本質 第4章 「有」の哲学―ウッダーラカの学説 第5章 「非ず、非ず」のアートマン―ヤージニャヴァルキヤの思想(1) 第6章 輪廻と解脱―ヤージニャヴァルキヤの思想(2) 第7章 アートマンと外界―『カウシータキ・ウパニシャッド』の教説 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 服部 正明 1924年、東京生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。73年から88年まで、京都大学文学部教授をつとめた。専攻は、インド哲学史。 |
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著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 中村 元 1912年島根県松江市に生まれる。1936年東京大学文学部印度哲学科卒。1943年文学博士。1954年東京大学教授。1970年財団法人東方研究会設立。1973年東方学院設立、学院長に就任。東京大学名誉教授。1977年文化勲章受章。1984年勲一等瑞宝章受章。1999年逝去。 |
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本書『名を救う』は『パッション』『コーラ』とともに「名についての三篇の試論」を構成します。ジャック・デリダは、神秘主義的宗教詩人アンゲルス・シレジウスの代表作『ケルビムのごとき旅人』の、否定神学的な美しく難解な詩句をめぐって複数の声をパフォーマティヴに共鳴させます。言述しえない超越的な神の名をめぐる否定神学の語法は、あらゆる他者の名に宿る名づけの不可能性に翻訳され、置換されるのです。デリダの否定神学読解を通じて、名の贈与の出来事、友愛と歓待、語りかけと祈り、「来るべき民主主義」といった問いが提示されていきます。 デリダは病床の母親ジョルジェットをニースで看病した際に、本書『名を救う』を執筆しました。深刻な病のため、息子の名さえ忘れるほど記憶を喪失していた母を前にして、彼はシレジウスの否定神学的なテクストに親近感を抱くようになったと告白します。そして、彼女は本書が執筆された4ヶ月後に他界することになります。名の情熱=受苦(パッション)が綴られる本書はそんなデリダの自伝的な物語と重なり合っていて、独特の静謐さでもって読む者を圧倒します。 |
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日本人は昔から自然との融合を好んでいた。山川草木すべてに「神」が遍在し、そうした自然と同化することを理想としてきた。この同じ日本人は近代に入ると東洋ではいち早く西欧化の道を歩み始め、科学技術を積極的に取り入れ、西洋の哲学も学ぶようになった。だが、この西洋の科学的世界観、そして哲学はどれだけ日本人の血となり肉となったのか。東洋篇では、インドから中国へと広がる東洋的世界観・宇宙観の変遷を辿ることで、日本人の心の琴線にふれる故郷を探訪する試み。『東と西の宇宙観 西洋篇』の姉妹編。 目次 第1章 神と宇宙の時代―ヴェーダの宗教 第2章 縁起から須弥山宇宙へ―釈迦の教えと上座部仏教 第3章 空の宇宙―大乗仏教 第4章 大地的な宇宙への回帰―ヒンドゥー教 第5章 天の思想と儒教 第6章 道家と道教の自然と無 第7章 中国古代宇宙論の完成―儒教と道家の融合 第8章 仏教宇宙論の伝来 第9章 宇宙と人間の統一―朱子学と陽明学 第10章 ヨーロッパ宇宙論との出会い |
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目次 『大神朝臣本系牒略』の史料的性格 沖縄県立博物館所蔵『琉球国図』 大友氏家臣団における贈答と秩序 研究ノート 室町殿袖判口宣案について 随筆 高山寺文書と藤原隆信消息 古文書めぐり 国立歴史民俗博物館所蔵の中世文書 研究余滴(下達挙状 軸装された日蓮真筆の裏書 近世大名家系図雑考) 書評と紹介(『古代地方末簡の研究』 『訳注日本史料「日本後紀」』 ほか) 展覧会だより |
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仏教史、とりわけ鎌倉仏教をはじめとする中世仏教史は、依然として日本史学史上の重要な課題の一つである。著者は、歴史と文学の古典に親しみ、日本文化史や日本思想史に深い造詣を有しているが、中世の仏教史に一貫して取り組んで来た。本書は、鎌倉新仏教の思想史的前提や聖の宗教活動を扱った初期の論考から、鎌倉仏教の概観、女性と仏教、『元亨釈書』と仏教、説話文学と仏教、さらに蓮如の思想に触れた論考までを集成する。著者の多年に亘る中世仏教史研究の思想と方法とが凝集されている。 目次 第1部 序編(鎌倉仏教と民衆) 第2部 時代と仏教(古代末期における価値観の変動 鎌倉仏教とその革新運動) 第3部 女性と仏教(救済としての女人往生 女人と仏教 ほか) 第4部 『元亨釈書』と仏教(『元亨釈書』の仏法観 『元亨釈書』の僧伝について ほか) 第5部 仏教史の諸相(聖の宗教活動―組織と伝道の視点から 説話文学と仏教 ほか) 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 大隅 和雄 1932年福岡市に生まれる。1955年東京大学文学部国史学科卒業。1964年東京大学大学院人文科学研究科博士課程中退。同年北海道大学文学部助教授。1977年東京女子大学文理学部教授。2001年同大学定年退職。東京女子大学名誉教授。 |




















